先日、性同一性障害の方からメッセージを頂きました。(以下Aさん)
お姉系タレントなんかの露出で性別の悩みを乗り越えた人達の存在が少しは広まったかもしれませんが、日本ではまだまだ世間に理解されていないのかもしれません。
見ず知らずの僕にそんなデリケートな事をお話してくださるまでにかなり勇気が必要だったと思います。
自分の気持ちに正直に向き合った結果、苦難や壁を乗り越えて自分の本当の生き方を手に入れた。
これはスゴい事だと思います。
なかなか世間に理解されない現実を目の当たりにすると腐ったりひねくれたりヤケになったり、ひと目を気にしながら生きていく選択肢を迫られる場面もあると思います
それでも堂々と生きていく覚悟を決めて実際に行動に移したAさんは素直に尊敬できます。
お話しくださってありがとうございました。
僕の周りに生まれつき片腕が動かない友人がいます。
前回もお話しましたがその彼は株で数千万稼いだ多趣味な男です。
彼は片腕が動かないにも関わらず空手(黒帯)やロッククライミングやサーフィンや銃など、あえて両手を使わなければ出来ない趣味を選択しています。
そして最終的には片手でそれらが出来るようになっています。しかも高レベルで。
前に彼と一緒にスポーツショップに行ったことがありました。
そこにロッククライミング(人工的な壁を自分の手足で登って行くやつ)のセットがあったので彼が僕にこう言いました。
彼『お前もやってみなよ!』
僕『やったことないし出来ないよ。』
彼『俺に出来るんだからお前に出来ないはずがないよ!』
彼の言葉でハッと我に返りました。
僕は何かを始める前の段階で【自分には出来ない】と自分で自分に制限をかけていたのです。
やる前からすでに諦めていた。
そういう事なのかもしれません。
コンプレックスを武器にした彼の言葉には重みがあります。
それから自分で自分の可能性を潰している現実に気付けるようになりました。
その意味では自分に魅力がないとか、自分には強みがないとか、それはただの思い込みなのかもしれません。
なるべく目立たないように波風立てないように、自分の意見をなるべく抑えてれば誰にも嫌われずにすむと、そのように僕は学校や周りに教えられてきました。
でも戦後から変わらない軍隊式の学校教育で教わってきた考え方は何かが間違っていると分かってしまいました。
年功序列に支配された社会では、無限の可能性がある人たちの可能性の芽が容赦なく刈り取られます。
その結果、20才になってまでも自分が何をしたいかが分からない人が量産されていくわけです。
僕らは幼い頃からひたすらに従業員製造工場で従業員になるための徹底的な教育を受けて育ちます。
しかも国をあげて徹底的に教育するわけですから、幼い僕らの価値観など簡単に塗り替えられてしまいます。
個性など二の次、完璧な集団主義ですね。
ある日『何かがおかしい』と思ったとしても、周りはみんなが向かう道が正しいと本気で信じてるわけですからその疑問は日常の下敷きになっていくのです。
日常で僕らがどれだけ小さな考え方に支配されている事か。
『あの人に出来るんだから自分にも出来るはず』とそのように考える事が出来たらそれはきっと実現できると思います。
むしろ【あの人に出来て自分に出来ないはずがない】と思えたら後は行動するだけですね。
過去ばかり振り向いていたらダメだ。
自分がこれまで何をして、これまで誰だったのかを受け止めた上で、
それを捨てればいい。
スティーブ・ジョブズ