僕の両親は飲食店(料理屋)を営んでいました。

 

 

そんな父親の口癖は
『商売は10年周期で廃っていく』

 

 

父が5~7年ごとに場所を変えて店を潰しては始めるを繰りかえし、包丁とまな板をもって日本各地を転々とするものですから、幼少期は関西や関東や九州を行ったり来たりの生活でした。

 

 

その影響からか僕は典型的な転校生。

 

 

父親が店を閉めるたび住む場所を変えていたので、やがて転校生としては慣れっこになっていきました。

 

 

転校さきでようやく仲良くなった友達ともしばらくするとお別れなので、親しく付き合える友達というのを持った記憶があまりありませんでした。

 

 

その意味では、孤独な幼少期を過ごしたのかもしれません。

 

 

 

 

幸い僕には姉がいたので、幼少期は姉が親友であり唯一の理解者。

 

 

母親もほとんど家にいない状態なので、姉は母親のような役割も担っていました。

 

 

親が飲食店を営んでいるということは、子供は家でお留守番のパターンが王道です。

 

 

両親はだいたい朝の10時には仕事に出かけて帰宅するのは深夜0時は当たりまえですから、なかなか両親と顔を合わせる機会がないわけです。

 

 

当然、夕飯はひとりですし病院も勉強もテレビも何もかもをひとりでおこないます。

 

 

僕が1才、姉が4才の頃から家でふたりのお留守番は始まりました。

 

 

小学校へ上がってもこの生活は続きました。

 

 

不思議なもので、親と過ごさない生活が当たりまえだと当時は思っていたのです。

 

 

親が飲食業界に携わっている家庭で育つと、親の休日というのはその子供にとって貴重な1日。

 

 

当時はとにかく親と遊んでもらうことが人生最大のミッションでしたから、親の休日は親の足もとに執拗にまとわりつくわけです。

 

 

でも大人になってから分かったのは飲食店とは超がつくほどハードワークで、休日は死んだように眠り疲れをとらなければ翌週からの業務に支障をきたすわけです。

 

 

なので唯一、両親と逢える休日も自宅で過ごすことになります。

 

 

そのせいか僕にはキャッチボールやピクニック、海水浴などよくある家族行事を経験した記憶がほとんどありません。

 

 

それからというもの中学に上がったと同時に関西から九州へ引っ越した(6回目の引越)のですが、突然姉の消息が分からなくなり本格的にひとりになってしまいました。

 

 

結局、姉は5年間消息不明。

 

 

知り合いも友達もだれもおらず言葉も違う土地での孤独は、14才という思春期の少年にはこたえます。

 

(今考えると小さな世界に生きていたなと思えますが)

 

 

 

 

そのうち学校で1番目立っているグループに入ってやろうと考えて友達グループを模索していたのですが、行き着いたさきは集団不良グループ。

 

 

それからは学校へ行かなくなり不良仲間と遊んでばかりいたのですが、孤独を避けるにはとても居心地の良い日々だったことを覚えています。

 

 

しかし不良仲間という居心地の良さが手にはいった反面、自分が幼少期に思いえがいていた明るい未来とは真逆の人生を歩んでいくことになるのでした。

 

 

3章…逮捕状は早朝に読み上げられる

 

 

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