両親の顔を見に実家に帰省

 

この記事は成田空港から書いています。

 

 

というのも、急に両親の顔が見たくなってフライト2日前に急遽チケットを手配したんです。

 

 

フライトは朝なので、今は成田のだだっ広いフリースペースでキーボードを叩いています。

 

(現在深夜0時35分)

 

 

 

 

 

 

海外へ旅に出る人。
海外から帰ってきた人。
国内を旅する人。
国内を旅してきた人。

 

次の国への乗り継ぎのために待機している外国人。

 

 

年齢や国籍の垣根を越えて、ここにいる人たちはフライトまでの時間をおのおので楽しみます。

 

 

成田は24時間、電気がこうこうとついていて、若者や中年のかたや子供など老若男女がそれぞれ好きなことをやってフライトを待っています。

 

 

国内線で成田をつかうのは初めてですが、この経験したことのない体験をすることが脳を活性化する引き金になりますし、また自分を拡大できるような、そんな気がします。

 

 

日常でもそうですが、最近はあえていつも自分が選ばない選択肢を意識するようにしています。

 

 

『人生は選択の連続だ』と言われますが、日常のなかで自分が無意識にくだす選択や判断を意識して過ごすようにすると、テレビやCMやネット、周りの人たちから流れてくる情報をいかに丸裸で受けいれているかがよく分かるようになります。

 

親孝行したい時に親はなし

 

僕の父親は70才、
母親は60才です。

 

 

もうどんな見方をしてもおじいちゃんとおばあちゃんです。

 

 

それでも僕にとっては大切な両親。

 

 

家族と過ごす時間こそが、僕は自分を充電できる貴重な時間です。

 

 

僕はいま30代ですが、親と離れて暮らして13年ほどが経ちました。

 

 

【親と離れてこそ初めて親の大切さが分かるようになる】と、そのようによく言われますが、自分も結婚して子供が出来て、やはり両親の偉大さや器の大きさに気付かされる瞬間があります。

 

 

気付けば父も母も年齢を重ねていて、いつしかおじいちゃんとおばあちゃんという呼称が良く似合う年齢と風貌になっていました。

 

 

そんな両親は顔や声や考えかた、話しかたや仕草や振る舞いも、若かった頃とはまた変化していて、
『これからも変わらず年を重ねていくのだな』と、そんな当たり前のことを考えているとなんだか感傷的になってしまいました。

 

 

父はお金にさんざん苦しめられたと思います。

 

 

母はそんな父に文句も言わず寄り添い、
僕たち姉弟を不安にさせないようにいつでも笑顔でどんなことでも受けいれてくれました。

 

 

逢えるうちに逢って、会話できる内にたくさん話して、一緒に時間を共有できるあいだに忘れられない思い出を作っておきたいものです。

 

 

その思い出を1つ増やすために今、僕はこうして朝のフライトを待っています。

 

 

もし僕がフリーランスでなくて、国や会社の言うとおりに社会にがんじがらめにされていたとしたら、今回のように急遽両親に逢いたくなっても正月やお盆、ゴールデンウィークやその他の連休まで我慢しなくてはいけないわけです。

 

 

縁起でもありませんが、その間に大切な両親が死んでしまったとしたら、僕はきっと後悔すると思いました。

 

 

【国や会社のために自分の人生や自分の大切な人達を犠牲にする】

 

 

これだけは自分の人生で絶対に避けなければならない現実だと、そのように真剣に考えましたから時間や場所に自由の効くフリーランスの道を選択したのです。

 

 

僕はこれからも自分がやりたいと思ったことは全部やると、そのように本気で考えていますし、見たいものはこの目で見るつもりでいます。

 

 

それとは反して、やりたくないことは一切やりませんし、良識の範囲内ですが、我慢できないことは我慢しなくてもいいと思っています。

 

 

好きなことだけをやって、本当に生きたい人生を思う存分に生きていけばいい。

 

 

僕はそのように考えています。

 

 

誰かに『このように生きて行け』と、そう指図されながら過ごしたって退屈ですものね。

 

 

PS.

 

住む場所の自由
時間の自由
人間関係の自由
経済的自由

 

 

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