宿命=変えられない
運命=いくらでも変えられる
・「どうせ運命なんて変えられないんだよ」
・「生まれたときからすでに運命は決まってる」
・「どれだけ頑張っても結局、なるようにしかならないでしょ」
このように考えると、人生がものすごく退屈になります。
ただ、泣いて過ごしても笑って過ごしても平等に時間は過ぎるわけですから、どうせなら笑って過ごしたほうがお得ですね。
ポジティブ思考と無神経はまったく違いますが、気持ちがなるべく前へ前へとかたむくように、今回は運命と宿命についての考えかたやとらえかたについて提案したいと思います。
結論から言うと、
宿命はどうあがいても変えられないけれど、
運命はいくらでも変えられるということ。
ひとまず今はそう胸に留めておいてください。
まず宿命についてですが、この宿命とやらはどれほど頑張っても変えることが不可能です。
たとえば子供が親を選べなかったり、お金もちの家かそうでない家かを選んでこの世に生まれおちるなんて、そもそもが無理ですよね?
気づけばその土地のその家系に生まれていて、親がいたり兄弟がいたり居なかったり。
つまり、人生において、自分の力でコントロールできない部分、それが宿命なんですね。
ほかにも、見た目や骨格や身長などの容姿も宿命ですね。
目はパッチリ、鼻スジまっすぐ、くちびるプルンのスタイル抜群なんて、まるでゲームのように自分で自分の見た目なんて決められないですよね?
とはいえ、知的生命体として生きるからには、できることなら綺麗な見た目で生まれたいものです 笑。
ただ、今はメイクや整形なんかで見た目はいくらでも改造できるわけですが、そもそもデフォルトの容姿が存在する意味では、見た目も宿命のうちに入りそうです。
このように、自分の力でコントロールできないものが宿命です。
ちなみに僕は宿命を、ホールケーキのスポンジ部分ととらえています。
(宿命=スポンジの考え方は10代のころ読んだ本の影響です)
これはどちらかと言えば、スピリチュアル的な考えかたかもしれません。
ここまでは、生まれ落ちた家系や見た目など、自分でコントロールできない部分が宿命とお伝えしました。
つまり宿命とはケーキで言うスポンジの部分、
いわゆる運命を支える土台、それが宿命ですね。
では、運命とはいったいなんなのか?
宿命がホールケーキのスポンジ部分だと考えると、運命とはホールケーキのデコレーション部分ということになります。
ここまで読んでくださったあなたなら、もうお分かりですね?
スポンジという宿命が初めから用意されているなら、あとは好きに運命をデザインすれば良いわけです。
チョコやイチゴを乗せたり、フルーツでもロウソクでも何でも好きに飾ればいいわけです。
このページの初めにお伝えしたように、
宿命(スポンジ)は変えられないけれど、
運命(デコレーション)はいくらでも変えられるわけです。
ところがどういうわけか、世のなかのほとんどの人たちは、周りの人とまったくおなじデコレーションケーキを作ろうと努力しているのです。
たった一度の貴重な人生なのに、周りのみんなとまったく同じ作品を作ろうとするのです。
以下は、むかしにどこかの誰かがつくった、ただの人生マニュアルです。
・学校でイイ成績をとる。
・さらにイイ学校にいく。
・イイ会社に就職する。
・40年ほど働く。
・老後は年金暮らし。
ようは見本となるホールケーキですね。
この人生の見本(価値観)は僕たちが幼少期のうちに、親や学校や社会から自動的に、しかも徹底的に植えつけられます。
自分で気が付かない限りは、この見本どおりに運命を飾りつけるしか方法を知らされないわけですね。
その結果、その誰かが作った人生の模範とやらの、その通りに生きなきゃ不安になるというわけです。
だからこそ毎日忙しくしてなきゃ何だか落ち着かないという、わけのわからない強迫観念に苦しむのかもしれません。
たとえば休日を丸1日ダラダラ過ごせば、
「何もしてない罪悪感」といった得体のしれない感覚に襲われたり、とにかく何かしてないとソワソワするような、そんなおかしな精神状態に陥るのです。
「何もしない贅沢」という考え方でもいいはずなのに。
運命と宿命の正体を理解したなら、あとはもう簡単です。
変えられないことに一喜一憂するよりも、人生を変えられる仕事を自分の意志で選択し、淡々と未来をかえていくだけです。
「運命はいくらでも変えていける」と本気で信じると、ワクワクや胸の奥のアツいものがこみ上げてくるような、そんな感覚を体験できるはずです。
正しいマインドセットは、人生をマルっと変えるための原動力になります。
そもそも人は結局、ワクワクや楽しいことしかやりたくないのです。
考えてみてください。
子供の頃なんて、ワクワクする遊びや楽しいことしかやりたくなかったはずです。
本来ならそれが自然なのに、年齢を重ねるたびに頭が凝りかたまって、どんどん不自然になっていく。
いつからか「やりたくないこと」ばかりに日常をとり囲まれていて、本当にやりたかったことを思いだせない。
毎日毎日、死ぬほど我慢して一生懸命頑張ってるのにどんどん不自由になるなんて、そんなの理不尽すぎます。
重要なのは、思い出すということ。
成長というのは得るものじゃなくて、思いだすことなのかもしれません。
それに傷付かないように大事に大事にバランスを取ろうとすると、余計に不自然になります。
石橋を叩いてばかりでは、そのうち崩壊してしまいます。
もうどんな飾り付けでも運命は運命ですから、最後に笑って食べればそれで大丈夫です。
みんなと同じマニュアル通りの運命を1ミリも狂いなくつくるよりも、自分なりの飾り付けで好きなように運命をデザインした方がワクワクしますね。
日本の人口が1億人なら、1億とおりの運命があって当たりまえです。
それが個性と言えるのかしれません。
自分らしくあれ。
ほかの人の席はすでに埋まっているのだから。
オスカー・ワイルド (詩人・劇作家)
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