うちの小学生の娘は、公園など「学校以外」では、だれとでも仲良くなれる明るい性格です。
でも、僕たち大人とおなじで、子供だって学校でのキャラと家でのキャラといった、表の顔と裏の顔を不器用ながらがんばって使い分けているようです。
結果的に、小学生の娘は人間関係がうまくいかず、不登校になりました。
小学生3年生で不登校になった娘が、精神的に弱っていく姿を日々みていた僕と妻はどうしていいかわからず、親子ともども精神的に参っていきました。
実際に自分の子供が不登校なると、子供はもちろん親も精神的に参っていくものです。
正直なところ、まさか自分の子供が不登校になるなんて、思ってもみませんでした。
そこでさっそくですが、我が子の不登校が解決し復活した実体験を、結論からお伝えしていきますね。
もし今、あなたがお子さまの不登校に悩んでおられるなら、このページが役に立てるかもしれません。
結論からですが、おもいきって引越しをして転校してみたら不登校が改善して、現在は元気に学校にかよっています。
つまり、僕たち親が子供の不登校を改善すべくだした不登校解決方法は、「引越し&転校」でした。
もちろん、引越し&転校は、僕たち家族にとって大きな賭けでした。
なにしろ、転校することで、ますます不登校をこじらせるかもしれませんものね。
でも、「今いる場所がすべてじゃない」と、「辛いなら逃げてもいい」という考えのもと、引越し&転校を決行したわけです。
ありがたいことに、僕はパソコン1枚あれば世界中どこでも仕事ができるので、住む場所に縛られる必要がありません。
だから、いつでも引越しができる意味では、不登校を解決する手段である「転校&引越し」を決行できたと言えるのかもしれません。
話を聞いてみれば、娘のクラスはすでに学級崩壊をしていました。
たとえば、おなじクラスの男児たちは、先生にむかって「このハゲ!もっと簡単に説明しろよ!」などと、授業中に暴言をはくのが日常茶飯事だったそうです。
考えてみてください、まだ小学校低学年ですよ。
もちろん、娘もそんな男児たちから毎日のように「チビ!デブ!ブス!」などと、文句をさんざん言われたそうです。
そんなことないのに。
「子供は残酷」という言葉がありますが、思ったことをズバズバと口にしてしまう意味では、たびかさなる文句を毎日シャワーのように浴びせられ、娘はたくさん傷ついたのでしょう。
そんな、学校という閉鎖的な場所で過酷な日々をすごしていくなかで、ついに娘がチック症状を発症したのです。
チックにも個人差があって、その子供によって症状がさまざまのようです。
ちなみに娘は、1分たりとも休まず「まばたき」を繰りかえす、いわゆるチック症状を発症しました。
言葉のとおり休まず、1日中ずっと、まばたきをしているんですね。
チック発症当時は、「なにかおおきな病気にかかったんじゃないか?」と、心配で心配で、気が気ではありませんでした。
そこで、このチック症状を改善するのに僕たちがとった行動は、「絶対になにも指摘せず見守ること」、でした。
たとえば、「目が痛いの?」「どうしてまばたきをするの?」など、症状を指摘せずに、そっと見守るのです。
つまり、あれこれいじくりまわさず、とにかく放っておくわけです。
バカバカしいかもしれませんが、実際にこの放置作戦で、娘のチック症状は完治しました。
子供はストレスが体に出やすいので、子供のちょっとした変化には早めに気づきたいものです。
ちなみに、学校に行きたくない不登校児のなかには、意図的に頭痛や嘔吐や熱を発症させる子供もいるようです。
まさに僕の娘は、意図的に頭痛や嘔吐や熱を発症させて、学校を休まざるをえない状況を自分で作ってしまう子でした。
あの時期はどうしても学校にいきたくなかったんだなと、よほど精神的に参っていたのだと考えると、泣けてきました。
朝、学校にいくまえに頭痛を訴え、トイレで嘔吐する。
さらに、熱をだして学校を休まざるをえない状況を、「意図的」につくる。
たまに調子が良くて学校へいっても、午前中に保健室にかけこんで熱をだして早退する。
このくり返しで、いよいよ僕たち親の仕事にも影響がではじめました。
とはいえ、大切な子供ですし、僕たちにとって自分の子供は宝物です。
だから、「不登校を解決して元気に小学校にいけるようになる方法はないか?」と、たくさん悩みました。
そこで、仕事をひとまず3ヶ月間休んで、大切な娘と正面からむきあおうと結論づけたのでした。
子供のために仕事量や収入を自分でコントロールできる意味では、あのとき自分のお店を潰して、インターネットビジネスを始めてよかったのかもしれません。
「学校にいかないとバカになるよ」
「学校にいってくれないと仕事ができないから困るよ」
「頑張れ!頑張れ!頑張れ!」
考えてみれば、子供の不安を煽るようなことを言っていた気がします。
大切な子供が、困っているというのに。
学校では辛い、家でも辛い。
これでは不登校になるのは、当然の話ですよね?
子供にとって頼れるのは親しかいないわけですから、親だからこそ子供の立場に目線をさげなければならないんだと、気づかされました。
そもそもの話、相手は変えられないし、変えられるのは自分だけです。
だから、
「今いる場所がすべてじゃないよ」、
「辛いなら逃げてもいいんだよ」と、
まずは自分たち親が変わることにしたのでした。
とはいえ、それでも不登校が改善されないものですから、いっそのこと「学校を休んで好きなことをやってもいい権利」を子供に与えてみたのでした。
週に1回学校を休んで、大すきなことを飽きるまでやってもいい日。
つまり、お休みカードを、子供に渡してみました。
すると、いつもは学校を休んだ日に罪悪感で申しわけなさそうにしていた娘が、堂々と胸をはって学校を休んで、すきなことに没頭するようになりました。
ちなみに僕たち家族は沖縄移住して6年目になりますが、自宅から徒歩5分圏内に、エメラルドグリーンの綺麗なビーチがあります。
先日はそこで、やどかりと遊んだり、沖縄のジャングルを探検したりと、「課外授業」と称して、平日昼間から娘とたくさん遊びました。
あとわずかしかない、父と娘の貴重な時間です。
不登校を肯定してもらい、自由を手にいれた娘は、すこしずつ笑顔をとりもどすようになっていきました。
ほとんどの親たち(自分も含めて)は、教育を外注します。
たとえば、小学校や中学校、それに高校や大学の勉強を、学校という教育機関にまかせますよね?
でも、実際に自分の子供が不登校になったら、親が率先して子供をリードし、子供のすべてを温かく受けいれなければならないと感じました。
小学生の娘が不登校になりたてのころ、藁(わら)にもすがる思いで、担任の先生やスクールカウンセラーに助けを求めてみました。
なにしろ僕たち親だって、「子供が不登校になったときの対処法」など、これまで親や学校から教わらなかったわけですから、どうしていいかわかりませんものね。
そこで、学校の先生やスクールカウンセラーに不登校改善のアドバイスを求めたり、ネットで「小学生 不登校 解決」などと調べまくるわけです。
でも、大切なのは血のつながりもない部外者に助けを求めたところで、なんの解決にもなりませんでした。
もちろん、学校の先生やスクールカウンセラーに相談することで、不登校が解決する場合もあるでしょう。
ただ、こんな時代ですから、学校の先生やスクールカウンセラーだって、みんな自分のことで精いっぱいです。
超情報社会の現代ではみんな、生きてゆくのに必死なんです。
だから、「他人の子供にいちいちかまっているヒマなどない」、残酷ですがそれが現代社会の現実です。
その意味では、子供が不登校になったタイミングこそが、親と子がヒザを突きあわせて、お互いにじっくりと向きあうべきだと思うのです。
つまり、子供の不登校はむしろ、親と子の絆を深めるための、またとないチャンスなのです。
実は子供のことをすべて分かっているつもりでも、実際にはそれが親のカン違いであることのほうがほとんどです。
親って本当に大変ですよね?
でも、子供はたくさんの幸せと笑顔を僕たちにくれますよね。
小学校低学年の娘が不登校になって思うのは、どこかに解決策が必ずあるということです。
その解決方法を見つけだせるのは決して他人じゃなく、子供の不登校問題を解決できるのは親しかいないということ、です。
僕たちが小学校3年生の娘の不登校を解決した方法は、「引越し&転校」です。
もちろん、家庭をもつ身として、引越し&転校は、とても勇気がいる人生のビッグイベントです。
たとえば会社勤めの場合は、職場の近くに住まねばならない縛りがあるでしょうから、なおさら引越しや転校には腰が重くなりそうです。
ただ、大切な子供には、今よりももっと良い環境を与えたいと真剣に考えるのが、親の人情ですよね。
その意味では、子供の不登校問題を解決する方法の1つとして、「環境を変えるという手段がある」と知っておいて損はありません。
引越しや転校など、環境をガラリと変えてみることで、親子ともどもいつのまにか狭くなっていた視野が、一気に拡大しますからね。
僕が、自分のお店を潰してまでインターネットビジネスを始めたのは、家族や子供との時間を増やしたかったからです。
つまり、4つの自由がすべてそろった世界を、家族で満喫したかったからこそ、世界中どこでも稼げるインターネットビジネスを始めたのです。
家族で国内や海外を転々として、現在は沖縄移住しましたが、4つの自由がすべてそろった世界はとても幸せです。
ちなみにこのブログの読者さんには10年以上まえからお伝えしていますが、4つの自由が以下ですね。
①住む場所の自由
②時間の自由
③人間関係の自由
④経済的自由
これら4つの自由を実現できるのはインターネットビジネス、いわゆるアフィリエイトビジネスだけでした。
そろそろ最後になりますが、娘が不登校になった当時は、解決方法がわからず精神的に参ってしまいました。
でも、ノートパソコン1枚あれば世界中どこでも仕事ができる環境を構築できで、本当によかったと思っています。
今いる場所で咲けないなら、新しい場所へと旅立つ。
それもまた、人間らしくていいじゃないですか。
だから、それでいいんです。
環境を変えるということは、投資の世界でいう、「損切り」とおなじ意味だと思っています。
損切り=これ以上損失が拡大しないために今すぐ損を確定させること。
つまり、今いる場所でうまくいかないなら、さっさと新しい場所にいって第2の人生を始めればいいだけ。
ただ、それだけだと思うんです。
今いる場所が辛いなら、辛くない場所にいけばいいんです。
物事はいつもシンプルです。
難しくするのはいつも、自分でした。
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いつまで無料で提供できるかわからないので、興味があればお早めに。