20代前半のころ、新宿歌舞伎町や六本木界隈の、ボーイズバーやホストクラブで働いていました。
はじめは仕事ができずペーペーなので、先輩のヘルプで接客をおぼえる日々。
連日、ピンクやブラックやプラチナのドンペリ(高級シャンパン)を、10本以上ラッパ飲みは当たりまえ。
そんな具合に浴びるほど酒を飲むので、店に22時ころに出勤したらまず、トイレで昨日の酒と胃液を吐き散らかすことが日課でした。
昼夜逆転で酒を飲みまくって、酒グセがわるいお客や売れっ子先輩ホストに怒られ、毎日クタクタでした。
そうして、待ちに待った初給料日がやってきたのです。
新人ホストだった僕の初給料は、
たったの4万円。
月収4万円、
つまり日給2000円です。
実は、ホストの世界では、低賃金長時間労働があたりまえなんですね。
結果を出せない人間なんて、家畜同然。
でも、結果をだした人間は、年齢関係なく王様になれる。
たとえば、30才の売れないホストが、20才の売れっ子に怒鳴りちらされる異常な光景。
そんなおかしな世界、
水商売にどっぷりと首までつかりこみました。
どういうわけか、お客さんが徐々に増えていき、新人から数か月後にはナンバー1になり、それなりのお給料がもらえるようになってしまいました。
東京新宿で、ちょっといいマンションを借りました。
仕事終わりに年上や年下の後輩たちを毎日、焼肉に連れていきました。
有名キャバ嬢と、同棲しました。
ちなみにホストの給料は、売上によってパーセンテージが変わります。
僕のお店は、売上をお店と折半。
たとえば、月800万円売り上げれば、給料はだいたい400万といった感じです。
親が破産して九州からバッグ1つで逃げるように上京した、
「金なし、コネなし、家なし、学歴なし」のナシナシ男が、東京でようやくまともに暮らせるようになった瞬間でした。
そんなある日のことでした。
なんともいえない自己嫌悪にとり憑かれ、当日欠勤を繰りかえすようになりました。
仕事にいく気がまるでなく無断で休むため、罰金が月に20万円を超える月もありました。
結果的に、水商売をやめて、部屋と自分の世界に引きこもるようになったのでした。
働く気がなく昼間から酒を飲んで泣いている僕を見て、ついに彼女は愛想をつかし、家をでました。
おそらく、当時の僕は鬱だったんでしょうね。
そうしてせっかく掴んだ「まともな暮らし」を、僕はすべて失ってしまったのでした。
先が見えずくすぶっていたとき、ふと、
「なぜ、自分はジェットコースターのような人生をおくってしまうのか?」と、ふかく考えたことがありました。
それは、僕の「自己肯定感」が、おそろしく低かったからだったんです。
考えてみれば、父とキャッチボールした記憶もなく、
小学校低学年くらいから、夜は1人で家で留守番するような幼少期を過ごしました。
どうやら、誰からも褒められず、だれにも認められない幼少期をすごした僕は、
自己肯定感が低いままだったようなのです。
「自分なんてダメだ」
「自分なんて成功できるはずがない」
「自分なんて、自分なんて、自分なんて…。」
そんな具合に、自分を責める負のスパイラルに突入すると、脱出するのは困難です。
そこで、僕がたどり着いた答えは、
「過去の経験のとらえかたを変えること」、でした。
つまり、「過去の記憶の塗りかえ」ですね。
たとえば、
「あの時は本当に腹がたった」という過去の怒りの記憶を、
「あの時は本当に腹がたった。でもあの怒りがあったからがんばれたんだ!」
と、過去に記憶したネガティブ感情を、ポジティブ感情に塗りかえることにしたのでした。
もちろん、現在も目のまえのできごとを客観的に、そして中立の立場で見るよう、努力しているつもりです。
とはいえ、忙しい日常では客観的視点、いわゆる「俯瞰(ふかん)の視点」をついつい忘れがちです。
でも、反応しない練習をやるようになってからは苦しみが減り、住む場所や人間関係、それに収入に変化が起きていったような気がしています。
まわりに遠慮してわき役にまわってばかりいたら、損するばかりでした。
幸せも、感じにくかったです。
それでも、たった1度きりの貴重な人生。
その人生の主役は、まぎれもなく、自分でした。
2度とないこの物語の主人公は、
親や友人や恋人、それに伴侶や教師、はたまた雇い主なんかではありません。
この人生という映画の主人公は、たった1人。
自分でした。
◆「だれからも信じてもらえない」と感じたら、せめて自分だけは自分を信じてあげればいい。
◆「だれからも認めてもらえない」と感じたら、せめて自分だけは自分を認めてあげればいい。
◆「1年まえとなにも変わってない」と不安になったら、今すぐこの冴えない現実を夢みたく塗りかえればいい。」
水商売をやっていたころの自分に、書いてみました。