自分が多数派にいると気づいたらもう意見を変えてもいいころだ。
マーク・トウェイン
「なんでこんなことやってんだろう?」
「なんでうまくいかないんだろう?」
「なんで毎日楽しくないんだろう?」
「人生、本当にこのままでいいのか?」
仕事も私生活もふくめて、思考や行動や判断や決断、それらすべてを他人に丸投げすると日常が愚痴や不満にまみれてしまいます。
どうやら僕ら人間は、「だれかにやらされている」と感じると、もともともっている底力を発揮できないようなんです。
同調圧力、いわゆる「みんな苦労してんだから君も不幸になろうよ」といった周りの意見に流されているばかりでは、いつになっても自分の人生を生きられません。
先日、1年ぶりにひらいたSNSに、知らない人がこんな投稿をしていました。
「仕事が忙しすぎて辛い。
朝から晩まで働いてる。
自分の時間なんてありゃしない。
実は今日も3時間しか寝てない。
しかもどれだけ頑張っても給料なんてあがりやしない。
おまけに何もしない上司や仕事ができない部下に囲まれている自分は、不幸と言えるだろう。」
社会の常識とやらに心まで縛られてしまうと、自分の意志で行動するのが難しくなります。
仕事に追われ日常の下じきになるにつれて、徐々に自分の頭でものごとを考えられなくなってしまうんです。
しかし、目のまえの現実は、まぎれもなく過去に自分が選択した人生と言えます。
きつい表現になりますが、
いくら辛くとも、寝てない自慢を誰かに伝えたくとも、それはまぎれもなく過去に自分が選んだ現実なんです。
・・・というよりも、今幸せなのか不幸なのかを決めるのは自分の考えかた次第、この真理も忘れたくないものです。
出来ごとや物ごとはいつも中立で、その善悪を決めるのはそのひと次第。
だからこそ、いつもポジティブ自立なひともいるし、いつもネガティブ依存なひとが存在するわけですね。
ではなぜ、やりたいことじゃなく、やりたくないことを選んでしまうのか?
その先にある未来がつらく苦しいとわかっているのにもかからわず、僕ら人間は周りのひとたちと同じ道を選んでしまうのか?
なぜ、実はたくさんの選択肢がたくさんあったのにもかからわず、まわりと同じ生きかたを選択してしまうのか?
その正体こそが同調圧力なのです。
※同調圧力については後に具体的に解説しています。
ちなみに過去の僕もブラック飲食企業に寝泊まりしながら、朝から晩まで働いていたころがありました。
当時はまだ19才でした。
1畳ほどの倉庫で2リットルのウーロンペットボトルを枕にして寝たり、マンガ喫茶でシャワーを浴びて、またすぐさま職場にもどり労働。
料理長が作ったまかないを5分でかきこみ、また1日18時間労働。
そんな忙しすぎる現実に、少しずつ、少しずつ人間らしさを失っていきました。
考えてみれば、1日18時間労働なんて、どの角度から見ても異常です。
でも当時は、その奴隷のような生活を受けいれた自分のほうが、異常だったんだと思います。
自分の人生くらい自分で選べばいいものを、僕は社会や他人の価値観にむりやり自分をはめ込んでいたのでしょう。
あるいは、自分の意志をもっていなかったことが原因で、周りからの同調性の圧力に屈してしまったのかもしれません。
「仕事なんてこの世に無限にあるというのに」、です。
自分の考えかた次第で行動がまるで変わるのですから、人間ってある意味こわいですね 笑。
「みんなそうしてるから自分もそうしよう」といった具合に、自分の意志でなく他人軸を生きると、苦しいのは当然の話なんです。
「〇〇でなければならない」と頑固になったり、
「自分は周りにどう思われてるんだろう?」と感じてしまうのは、単にまわりからの同調圧力が原因と言えそうです。
同調圧力につぶされそうなときこそ、人生の選択肢が無限にある事実を思いだすことが、大切なのかもしれません。
やりたくもない仕事をやったり住みたくもない場所に住んだりと、この社会の常識とやらを骨の髄まで信じこんでしまうと、自由を味わうことが困難になります。
それでもその社会の常識とやらに従わなければ、集団のなかで孤立してしまう恐れがあります。
生きにくい世のなかですよね?
「君もそうしなさい!だってみんなそうしてるんだから。」
まさに同調圧力。
個人の意志やそうしなければならない根拠など微塵も存在せず、ただただ「みんなそうしてるからそうする」という、現代という個人の時代における危険すぎる価値観。
ここで考えておきたいのですが、個人が自分の意志で行動することを学校や社会は嫌います。
「人生を自分の意志で選ぶひと」はまっさきに潰される、それが集団主義と言えるのかもしれません。
なぜなら、みんな同じでなければならないと、出る杭うたれないように自分を抑えて集団行動しなさいと、
そんな具合に親や学校や周りから徹底的に教育されたひとたちが、この人間社会を作っているからです。
みんながみんな同じ価値観でぬり固められた集団主義のひとたちに、個人主義の人が放りこまれたなら、一瞬でつぶされるに決まっています。
そんなときは、「合わないものは合わない」とスパっと割りきったほうが、また新たな道をいさぎよく前進できるはずです。
現代はストレス社会などと言われますが、ストレスが溜まる最大の原因としては、自分の意志で仕事や人生を選んでいないからと言えそうです。
「他人にやらされている状態」では、まだ見ぬ可能性や眠っている才能を、開花させることが難しいのです。
その意味では、嫌われることを恐れたり集団からはぶかれることを恐れていたら、何者にもなれず死んでいくハメになりそうです。
たった1度きりの、貴重な人生。
そう考えると、やりたくないことをやっているヒマなどありませんね。
いつの時代も、同調性の圧力に屈せず自分の意志と信念をつらぬけるひとだけが、圧倒的自由な世界を堪能できるのかもしれません。
すべての改革は少数派が多数派に反対する行動から始まっている。
マハトマ・ガンジー
同調圧力などもはや意味をもたない
周りの同級生たちが就職して朝から晩まで働きながら会社で出世を目指していたころ、何も考えずにただなんとなく、朝から晩まで僕も働きつくしてみました。
・満員電車で職場まで運搬される日常。
・寝るためだけに帰る家。
・1か月をようやく食いつなげるだけの給料。
すると徐々に視野がせまくなっていき、気づけば仕事以外のことが考えられなくなりました。
小さな星の小さな国の小さな県の小さな街の小さな職場、そこが自分の全世界。
・・・実はこれ、危険な状態です。
そんなある日、「この仕事はきついです」と上司に相談したことがありました。
すると、こんな答えが返ってきたのです。
「お前だけじゃない。みんなきついんだよ。だから頑張れ。ガマンはこの世の常識だ。」
気が楽になったというのか、人生にあきらめがついたというのか、どういうわけかスカッとした感覚になりました。
まるで集団の一員になれたというのか、すべてを認められ承認されたような、不思議と腑におちた気分でした。
「やりたいことは全部あきらめよう!それが常識だ!」
この瞬間こそが、自分の頭でじっくりと考えることを放棄し、人生のすべてを他人に丸なげした瞬間でした。
当時の僕のように、自分の頭で考えずにただただ同調圧力に屈すると、自分の人生を生きられなくなります。
なぜなら、「自分は周りにどう見られているのか?」を基準に、このさきを生きることになるからです。
それは自分軸じゃなく他人軸の世界、つまり、そこに自分の意志がないということです。
自分の意志で人生を選ぶ勇気もないのに、愚痴や不満だけを吐き散らかすなんて、おかしな話だと思いませんか?
だとすれば、同調圧力などぜんぶ無視して、やりたいことをやればいいだけの話ですよね?
ものごとは非常にシンプルです。
難しくするのはいつも自分でした。