早朝6時。
前日にセットしておいた、ホームベーカリーの音で目を覚ます。
家中に充満したパン屋さんの香りに気がついて、子供たちが起きてくる。
切りわけた焼きたて食パンに、そっと置いたバターが、熱でゆっくりと溶けてゆく。
カルディで買ったキリマンジャロ豆をゆっくりと挽いて、淹れたてコーヒーをカップに注ぐ。
ついでに、ハウルの動く城をきどって、ベーコンエッグも焼いてみる。
自宅のバルコニーから、どこまでもつづく沖縄の海を眺めながら、妻と子供とゆっくりと朝食をとる。
子供をエレメンタリースクールへおくりだし、ひとり、ビーチ沿いをウォーキングする。
エメラルドグリーンの海があまりにも美しいから、まっしろな砂浜の木陰に腰をおろして、しばらく海を眺めてみる。
波のおとを聞きながらふかくゆっくり呼吸してみると、自分も自然の一部だという、当たりまえのことをおもいださせてくれる。
「おもえば、遠くの島へ移住したもんだな」と、ぼんやりと思考を遊ばせてみる。
ゆっくりと、そして静かに、乱れたココロが整ってゆく。
たくさん汗をかいて、ほどよく高まった心拍数で帰宅し、真水を全身に浴びる。
キッチンでプロテインを一気に立ち飲みし、パソコンに向かう。
「さあ、今日はどんなことを書こうか?」
※これは、僕の平日午前中のルーティンです。
橋本雅です。
ノートパソコン1枚で仕事をする「物書き」という職業は、ビジネスアイディアをうむために刺激が必要です。
だからといって、毎晩キャバ嬢をはべらして連日ドンちゃん騒ぎなどの、酒池肉林の刺激には僕は興味がありません。
そんな刹那的で一時的な快楽よりも、
なににも縛られず、
そして誰にも指図されず、
圧倒的に自由で、
自分らしく丁寧な生活をおくることがスキです。
だから、人間として幸福度がたかまるようなルーティンを、日々の暮らしにとりいれるようにしています。
もちろん、こんな話をすると「自慢かよ!」という具合に、反感をおぼえるひともいるでしょう。
たしかに、僕の人生はサラリーマンという、一般常識的な生きかたではありません。
なにしろ、フリーランスという社会のレールから脱線した生きかたですから、僕の話をきいて色んな感情がおこるのは当然だと思います。
ただ、ペンは剣よりも強しという言葉があるように、
肉体労働者でなく、「知能労働者」を本気で目指しみたら、物書きという世界にたどり着きました。
その意味では、親や世間や周りのおとなたちが自分に強要してきた、
「流した汗のはかり売り人生」を、断固として拒否したと言えます。
今日はせっかくですので、一緒に考えてみましょう。
僕たちはいったい、誰のために働いているのでしょうか?
◆【自分の努力で社長や株主が金もちになる】
※自分の努力は会社オーナーの成功となるため結局、社長や株主を金持ちにするために働いている。
◆【税金を搾りとられて国が儲かる】
※なんとサラリーマンの年間5か月分の給料が、国に税金としてガッポリとられている。
◆【金利や利息をとられて銀行が儲かる】
※銀行を儲けさせるために、クレジットカードの支払いや家や車のローンを必死に返済する。
なぜ、こんなにも必死に働いているというのに、自分や家族を犠牲にしてまで、国や会社や銀行を金もちにしなければならないのでしょうか?
国や会社や銀行は、必死に働くサラリーマンの方を、定額つかい放題の「現代版奴隷」だとでも思っているのでしょうか?
よく考えてみてください。
僕たちが生きるこの人間社会は、なにかがおかしいと思いませんか?
だからこそ、脱サラしたメンバーや僕は、「流した汗のはかり売り人生」にNOを突きつけたのです。
なぜなら、あなたもご存知のように、
ヒトは幸せになるために生まれてきたから、です。
僕たちは決して、人生を仕事で埋め尽くすために、生まれてきたわけではないのです。
とはいえ、正直なところ僕も人間ですから、月収500万円を突破した今でも、憂鬱になるときがあります。
それは、本当は自由になりたいけれど、まわりからの激しい同調圧力のせいで苦しんでいる仲間たちを、もう見ていられないからです。
来年のいまごろには、きっと「あのとき勇気をだして1歩をふみだして本当によかった!」と、笑って言えます。
お互いに、人生で2度とないチャンスが降ってきたときには、迷わずわし掴みにしたいものです。
いいですか?
今あなたの目のまえにあるのが、チャンスです。