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空港のゲート前。
本来なら家族や幼馴染や彼女、小中高の友人が大勢あつまってそれぞれ一声かけてくれるのが理想です。
しかしそんな安いドラマのような一幕はいくら待っても訪れることはありません。
でもこの日はなぜかとてもすがすがしく晴れやかで妙に落ち着いていました。
全財産はアルバイトで貯めた20万円。
カッコつけた言いかたをすれば、バッグひとつで上京というパターンです。
住む場所や仕事は決めていません。
僕はいつもそうです。
見切り発車で自分を追いこむことでしか、強くまえへ進むことができません。
19才でそのことに気付いていたのか、そうじゃないのか。
当時はおそらくシンプルに生まれ変わりたかったのだと思います。
引っ越しや新天地での生活は幼少期から慣れっこでしたので、知らない土地になじむのに時間はかかりませんでした。
重たいバッグを抱えてフラフラとたどり着いたのは六本木。
当時は日韓ワールドカップ開催まっただなか。
国際都市の六本木は派手に賑わっていました。
六本木交差点は朝の通勤ラッシュ並みに、人、人、人でごった返していました。
考えてみれば今日はサッカー日本代表の進退が決まる大事な1戦で、日本代表がみごとに勝利を手にしたまさにその夜だったようでした。
肩がぶつかるどころか日本人で揉みくちゃになった横断歩道をブルーのユニフォームを着た顔中ペイントだらけの見知らぬ日本人同士が抱き合い、ハイタッチですれ違っていくそんななか、僕は人の群れを押しのけ黙々と東京タワー方面を目指しました。
すれ違う日本人には、『ノリの悪いやつだな』と思われていたに違いありません。
『まずは仕事を決めなければ生きていけない』
浮かれているヒマなんてなかったのが正直なところです。
東京で生活するとなると、
20万円なんて一瞬で消えてしまいます。
ましてや港区六本木・・・。
これまで20種ほどの職種を経験しましたがどれも長くは続きませんでしたからこの際仕事を選んでなんていられません。
ご飯が食べれて、
寝る場所があって、
仕事がある。
『飲食店しかない!』
それからは求人誌とネットで検索した求人情報を片手に、かたっぱしから居酒屋をまわる日々です。
1件1件電話をかけてまわっているヒマとお金はなかったので、店がヒマそうな時間帯を狙って飛びこみ面接です。
しかし1日数十件まわって熱意を訴えてみても、変人を見るような目で門前払いなんて当たりまえ。
そりゃあそうですよね。
見ず知らずの19才の男が
『寝る場所と仕事をください』と要求するわけですからね。
大人ひとりがようやく横になれそうな、本来なら酒を保管する1畳ほどの空間で寝泊まりさせてもらうことを条件に、ある飲食店企業に雇いいれてもらうことに成功。
◆食事⇒まかない
◆寝る場所⇒倉庫
◆お金⇒給料
ひとまずライフラインは確保できました…
・・・・・・・・・・・・・・が、
この時にはここから始まる地獄のような日々を予知する能力は、1ミリたりとも持ち合せていませんでした。
冷静に考えてみればブラック企業だと一瞬で気付けるはずなのですが当時は「これが東京ってやつか!」と、湧きあがる疑念を飲みこみ目のまえの現実という地獄を受けいれることにしました。
今でこそメジャーなワードになりましたが、まさにブラック企業です。
睡眠2時間でハードワークをこなすこと6か月。
どうやら信用がついたのか、舞いこんできたのは店長就任のはなし。
1畳の倉庫で2時間の仮眠をとり、風呂はマンガ喫茶のシャワーを借りるという生活のなかの昇格。
『これで出世と店と地位と権限とある程度のまとまったお金が手に入る!成功者の仲間入りだ!』
大都会での店長就任。
ここから僕の人生逆転、出世街道まっしぐらの怒涛の快進撃がはじまります。
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…と、絵に描いたようなうまい話に飛びつくはずもなくいたって冷静に、
『このままじゃ良いように使い捨てられる』と判断することにしました。
さすがに身も心も壊れそうになっていたので丁重にお断りし、翌週には退職届を提出。
六本木から新宿へそそくさと移動し、ひとまずJR新宿駅の東口をでました。
次の職場が決まるまで寝泊まりできる安いマンガ喫茶を散策しながらふと周りを見渡してみると、妖艶で狂気な街が日本に実在するのを身をもって知ることに…。