ラップトップ1枚あればどこでも仕事ができるようになり、思いつきで沖縄移住してみました。
ちなみに沖縄移住を決行したのは、シンガポールから帰国し沖縄ひとり旅を終えた翌月という、かなりのハイスピードで環境をガラリと変えてみました。
仕事やビジネスや旅行や移住などは、勢いや直感にまかせると、わりとどうにでもなるものですね。
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30才を超えると、1年という月日があっという間に過ぎさっていきます。
「明日死ぬかもしれない」と考えると、やりたくないことをやってるヒマなどないのかもしれません。
その意味でも、見たい景色をこの目で見たり、やりたいことをとことんやり尽くすために、初期のころからビジネスや収入の自動化にせっせと励んできました。
貴重な人生をだれにも邪魔されたくなかったので、沖縄移住してからの2年間はとくに、
「住む場所の自由」、
「時間の自由」、
「人間関係の自由」、
「経済的自由」、
これら4つの自由をさらに、さらに深く追求してきました。
いわゆる、「自分がいなくてもビジネスが勝手にまわる状態」、その仕組みのさらなる強化に勤めたのでした。
その結果と言えば、沖縄移住してからの2年間は、遊んでばかりいたような気がしています。
というよりも、遊びか仕事かわからないくらいが、個人的にはちょうど良いです。
というわけで、沖縄移住してから2年たって思うことをつらつらと書いていきます。
個人的に、午前中はあらゆるエンジンがかかりません。
ですので、最近は起床後すぐにシュノーケルに出かけることにしています。
たとえばこのへんで、↓
こんなふうに、↓
透きとおった海でカラフルな熱帯魚たちにエサをあげながらぼんやりするのもまた、いいものです。
地上のシガラミに飽きたなら、海がおすすめです。笑
南国特有の強烈な陽ざしのせいか、セロトニン(幸せホルモン)がドバドバと放出されるのが分かります。
沖縄の夏は長いので(夏はだいたい6か月間)、あわてて夏を追いかける必要がないのもまたいいですね。
いつからか盆や正月や連休や週末は人でモミクチャになるので自宅にこもり、平日の人が少ないときを狙って出かけるようになりました。
今年からは、夏場をぜんぶ休日にしようと思います。
小さなころから海のちかくに住むことが憧れだったので、こうした環境に実際に身をおけている現実に幸せを感じます。
プログラマーの方やライターの方、それにアフィリエイターや物販を個人でやってる方などなど、沖縄にはネットで生計をたてているひとがわりと多いようです。
そもそもの話、ネットで稼いでいるひとというのは日本全国や世界中からお金を集めて、本人が住んでいる土地で稼いだお金を使って生活しています。
つまり、外からお金を集めて、本人が住む土地に集中投資している状態。
住んでる土地でお金を稼ぎ、住んでる土地でお金を使うといった具合に、お金を同じ場所でグルグル巡回させるのでなく、外からお金をもってくる存在。
観光立県に住む意味では、それもまた立派な社会貢献かもしれませんね。
場所に縛られない仕事だからこそ、本人が大好きな場所に住むのは正しい選択だと思います。
せっかくどこでも住める権利を手にいれたというのに、好きでもない場所に住んでさらに高い税金を要求されるなんて、ちょっぴり損した気になってしまいますものね。
ちなみに僕も外からお金をあつめて、沖縄でぜんぶ使っています。
(たまにフラリと海外にもいきますが。)
好きな土地の経済がうるおうことに少しでも貢献できるなら、それもまたワクワクしますね。
僕は現在、一般社会と決別しています。
ですので、一般的な社会のことがよくわからないのが正直なところです。
ゆえに一概には言えないのですが、沖縄は我が道をゆくひとが多い気がします。
たとえば平日昼間に海辺をプラプラしていると、好きなことをやっている地元民や移住者やアメリカ人がたくさんいます。
同調圧力に流されるのでなく、
周りの目を気にしてやりたいことを我慢するのでなく、
好きなことをそれぞれが勝手にやっている。
そんなイメージですね。
沖縄のように外部からいろんな人種が入りこんでくる土地では、相手の価値観を受けいれる努力をしながら、お互いが尊重しあって暮らしています。
沖縄という島におおくの人たちが惹きつけられる理由は、自分らしくいられる居心地のよさと言えるのかもしれません。
「〇〇でなければならない!」なんて、そんなかたよった価値観を押しつけられるのは誰だって苦しいに決まっているのです。
~あとがき~
日々をあわただしく過ごしていると、ときに本来の自分を見失ったり、自分はこのさきどのように生きていきたいかを忘れがちです。
でもそれは当然と言えるのかもしれません。
なにしろこの一般社会は、
時間に追われ、日常の下じきなり、やがて暮らしにまみれていくシステムとして機能しているからです。
そんなカラクリに気づいたなら、自分の思うとおりに人生をデザインするだけですね。
一部の勘のいいひとたちは、その理不尽なカラクリに気づきはじめています。